~レッスンに対しての所感



テキストを使って自分で解いて知識、理論を覚えていく。

芸事を身につけていくこと、それは『教え』と『独習』の両軸が必要です。

ここでの『独習』の定義は主体的に技術を吸収していくこと、とします。


ではなぜレッスン(『教え』)が必要でしょうか?

それは課題設定と添削にあるといえます。つまり、覚えた知識の実践と検証、次のステップへの方向付けです。

実践してはじめて得た知識の目的が果たされるわけです。

(そしてそこでは多くの場合失敗し、修正が必要となってきます)



どんな理論、知識も覚えるためにあるのではなく、そこから先の自己の作品創造、創作のためにあるのですから。



この『教え』という部分が独習のみでは叶わないところだと思います。

(逆説的ですが自身で系統立て課題設定が出来、自分が自分の先生になり添削、検証判断出来ればレッスンは必要ないと思います。
むしろそれくらい自信がある方は教わらず、その個性を貫いた方が良い結果を生むかもしれません。)


ただ客観的事実として、新しい芸事を身に着けるのに独学のみでいく事がいかに困難であるかは、過去の作曲家や芸術家の歴史が物語っています。

著名な大家の多くが、何かしらの『教え』を受けている事実です。

過去の天才と言われている多くの大家でも独学のみではないのです

私が本場ヨーロッパに行って感じた事は、どんなぶっ飛んだ現代音楽をやっている作曲家でも、
伝統の書法や基礎をしっかりおさえているという事実です。
一方、アメリカで感じた事は、演奏者で理論的なことを知らないけど、演奏ができている人たちです。
ただこのパターンはそこから先のオリジナリティーを感じた人はいませんでした。

やはりジャズ、クラシック問わず、革新を起こしている音楽家は歴史的に見ても、誰かの『教え』を受けています。

本当の意味での独習のみで突き抜ける次元に行ける人は、僅かな一握りの天才だと肝に銘じ、日々精進していく事。そこだけでしょう。

我こそは天才との自負がある方はどうぞその道をお極めください。


私自身、これまで本当に書ききれないほどの恩師に『教え』をいただきました。
今の自分があるのも沢山の素晴らしい恩師のおかげです。

この『教え』に私のレッスンが少なからずお役に立てれば、
これほど嬉しい事はございません。

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